神様に好かれる開運習慣

日本の神様カード、神社、古事記

8月8日は龍神たちの背に乗りステージアップ

8と龍神の関係について

8月8日は、龍神の日と個人的に特別な日として厳かな気持ちで一日を過ごします。

 

なぜ龍神と8に特別な繋がりがあるのか、ですが、龍神は神様の使いとして、異なる世界(天界、人間界、幽玄界、黄泉の国など)を自由に行き来できるとされています。

 

8は、異界を出入りする龍神の道筋に通じる形であり、風水でも「8方位」で観ますし、「八百万の神々」「八咫烏(やたがらす)」など、私たち日本人にとって八(8)という数は、身近にありました。

 

日本古来から八は聖数であり、とても壮大な人知でははなり知れない規模を表す数字として、用いられてきたことが分かります。

 

八という聖なる数の力

ハは「末広がりで縁起がいい」と言われますが、それは元々の意味ではなく、八が使われているものが神様に関連するところから、自然発生的か意図的かは分かりませんが、民衆に広がったものです。

 

元々「八」は一方向に突き抜ける強大な力の噴出であり、人知を超えたところから現れる最大級のパワーを表す数霊だと私は受け取っています。

 

七(なな)で豊葦原瑞穂の国(とよあしはらみずほのくに)のが成り(均らされ)た後、ハ(や)の働きにより、地中から大噴火が起こり、マグマがドロドロと地上に広がり、地面を形成していると個人的に解釈しています。

 

八の形は、山の形に似ていませんか?

 

八の上の部分の空いたところから噴火し、裾野にマグマが広がるさまを表しているように見えてきますよね。

 

「ハ」は「弥」(壮大な力)が「矢」のように地中から天へ向かって突き上げ、「野」(広い範囲の地)が作られ始め、屋や家(人だけでなく、万物の住まう場所)の場が作られるヴィジョンを観じると、八が持つ聖なる力に、ただただ畏敬の念を覚えます。

 

感じで「耶(や)」「哉(や)」は感嘆、疑問に使われる事が多いのは自然の壮大な力の前には、私たちは言葉もなくただただ畏れおののき、何とか乗り越えるための智慧を出したところからきているのではないかと。。。これも個人的なインスピレーションです。

 

しかし、耶蘇(やそ)=キリストとか、耶(邪)馬台国(やまたいこく)という言葉に「耶」が使われており、聖なる存在であったり、特別な(霊力など)を持つ人や場所を表している事が分かります。

 

また、八(8)に関連する神事の一つである「茅の輪くぐり」が8月8日に行われるところからも、八が現代の「8」とは全く違う意味合いを持つことも、理解できそうです。

 

 

茅の輪くぐりと龍神

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参道の鳥居の葉を建てて注連縄を張った結界内にで編んだ直径数 m ほどの輪を建て、ここを氏子が正面から最初に左回り、次に右回りと 8 字を描いて計3回くぐることで、半年間に溜まった病と穢れを落とし残りの半年を無事に過ごせることを願うという儀式である。(引用元:wikipedia)

 8月8日には実家にいた頃は、毎年輪くぐり(茅の輪くぐりのこと)に出かけていました。

 

小さい頃は、夕方から浴衣を着せてもらい、母親と妹と、神社に行き、輪くぐりが終わると、境内で凍らせたチューチュー棒がもらえるのが、とても嬉しかった。

 

茅の輪くぐりは、参道に「茅の輪」が作られていて、8の字に、クルクルと輪の中を3回くぐります。

 

この8の字3回をすることで、禊ぎ祓いになるのですが、ここでも八という数字が出てきます。

 

3回というのも、特別な意味合いがあるのですが、それはまた別の機会に。

 

8は、形を横にすれば∞(無限大)です。

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私たちの視点で見れば、茅の輪くぐりは、いつまでも長く健康で生きられますように、という純粋な願いと共に続いている神事です

 

神さまの視点で見れば、自分の従者である龍神が異界を行き来し、天・地・人の為に常日頃尽くしてくれていることへの感謝と祝福そのもの=弥栄(いやさか)を、私たち人間にもわかりやすく表してくれているものだ、と最近は分かるようになりました。

 

8月8日でなくても、もちろん龍神の背に乗り、変化と成長の道を進むことはできますが、今日は特に龍神が動きやすい環境が日本全国で整う日。

 

お近くの神社にお参りに出かけ、日本人が古来から大切に守ってきた神域や、龍神の加護、神々のそして森羅万象の恩恵に感謝して過ごしてみましょう。

 

今日の記事について

私の日々のメッセージで用いている数の力(数霊)も、今日の八(8)に対する解釈も、神道で学んだ知識、練磨をベースにしながら、自分なりに内観(神域と繋がり)を通じて、受け取ったものを書いています。

 

私は考古学者でもありませんし、宗教者でもありません。

 

内容は、全て個人の解釈や、感じた事として共有していますので、もし、転載や引用をされる場合は、お手数でもコメント欄にご一報いただくよう、お願いいたします。

 

学術的な研究に基づいて、情報を発信している方々のご迷惑にならないよう、あくまでも私の記事は、個人的なものであることを今一度ご理解くだされば幸いです。

 

何か、龍神や記事の中で共感していただけることがあれば幸いです。

 

今日も弥栄な一日をお過ごしください。